杉江松恋不善閑居 迷ったら自分の首を絞める選択をすべきだ

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某月某日

気がつけばしばらくこの欄を書かずにいた。何もしていなかったわけではなくて、仕事はしていたのだけど、考えなければいけないことが多すぎて滞っていたのだった。また元のペースに戻す。

ここしばらくは対談や座談会の仕事が多く、恒例の豊崎由美さんとの年末回顧もまもなく東京新聞に掲載される予定である。それ以外はけんごさんの呼びかけで初めて三宅香帆さん、渡辺祐真さんとの対面が叶い、氏と倉本さおりさんと五人での座談会というものが実現した。前後編に分かれてアップされている。

前編が書評家の仕事というもの、後編が出版界の今後についての話になっている。どちらも私はそれほど建設的なことは言えていないと思うので、それほど期待せずご覧いただきたい。それ以外にもいろいろ機会があり、自分の仕事について考えさせられた。

それほど成功した人間ではないが、振り返って思うことはある。自分の首を絞めるかもしれないことほど、やってみたらいい方向にいったという実感だ。

たとえば「ハヤカワ・ミステリマガジン」の書評レギュラーを下りるときなどがそうで、いつまでもやるものでもないので、交代を自分から申し出た記憶がある。もちろん書評欄の筆頭で、一人でも私の原稿を楽しみにしてくださっている読者がいればその伝ではなかった。そうではなかったので申し出たのである。ただし、絶対に私よりキャリアが浅い人、若い人にしてもらいたいと言って下りた。そういう相手に仕事を譲るのでなければ意味がない。

別の雑誌で、何年も続けていた書評連載を終わりにしたいと編集者に切り出されたときも、やはり同じことを頼んで最終回にしてもらった。このときは、後釜になった人が私よりも年上だったので、編集者に内心憤りを感じたものである。書き手には特に含むところはないのだが。

今座っている椅子に固執していたらそこから近いところにしか行けなくなる。思い切って離れてみると、意外なほどできることが広がる、かもしれない。もちろん失敗する可能性も大なので、いつでも成功するとは言えないのである。これまで何度も私は間違えてきたが、成功したな、と思う例はだいたい元の椅子にこだわらなかった時だ。これは自分の生命線だから、と地位にしがみついてしまうと碌なことにならなかったように思う。

自分の首を絞めるかもしれない決断をして、失敗したらそのときはそのときなのだと思う。たぶん、新しいことを始められる力がもう無くなっているのだから、フリーランスでやっていくための限界が来ているのだ。そうなったら潔く諦めようと思う。

これからも機会があれば命綱からは手を離すように努力したい。私は高所恐怖症なんだけど。

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