またごちゃごちゃと用事が入る日々が続いていてここの原稿が書けなかった。現時点で残っているノルマは以下の通り。
【レギュラー】書評:週刊2、月2回刊1、月刊1。
【イレギュラー】書評2、コラム1、
【その他】講師1、動画収録1、演芸会主催3。
前回から原稿を書き、座談会に出たので3月に稼がなければいけない額への進捗率は83.02%になった。22日に出たマライ・メントラインさんとの公開対談も講師料が発生するのだが、計算には入れていない。朝日カルチャーセンターと池袋コミュニティカレッジの講師料は人数で変動するのでなかったこととして考えているのだ。本業ではない、という思いもあるのかもしれない。
今月はノルマぎりぎりしか行けないかもしれない。そういう月があるのは仕方ないが、あまりに続くようならノルマを下げることを検討しなければいけない。つまり生活水準を下げて支出を抑えるということだ。仕方のないことだが、本を買い控えなければならなくなると仕事に差し支えるので辛い。
せちがらいなあ、と思って暮らしていたら、立て続けに共著や編著の話があって、なんとか今年中にあと何冊かは出せそうな雲行きになってきた。ありがたいことである。
昨年出した二冊は自分からの持ち込み企画で、編集者がそれを受けてくれて実現した。感謝している。今年の本は逆で、編集者から提案があって進めることになった。これまた感謝している。この違いは大きい。
思えば単著のない時代から、ずっと本を出すための種蒔きをしてきた。自分がどういうことを考えている人間で、何をやろうとしているか、ということを折に触れて周囲に説明し、形にできる機会をうかがってきた。それがようやく結実したということである。種蒔きから収穫まで、長いものでは20年かかっている。つまり、今の仕事は20年前の私からの贈り物ということだ。ありがとう、20年前の私。
喜んでばかりもいられなくて、20年前の収穫を今やっているからには、いずれすべて刈り終えてしまうということになる。
こういう時に二通りの考え方がある。今やっていることが評価されれば、また同じような依頼が来るだろう、という楽観主義が一つ目である。仕事が仕事を連れてくるということだ。もう一つは、今の仕事はなくなるので別のものを準備しなければならない、という悲観主義である。私はどちらかといえばこっち。いつも仕事がなくなったときのことばかり考えている。
そんなわけで数年前からまた別の種蒔きを始めている。当然まだ形になっていない。いずれなんとかなればいいと思う。腐らずにやるしかない。今度は20年ではなく、5年ぐらいで芽が出ればいいのだけど。