『名探偵と学ぶミステリ』の話つづき。
この本を世に出すことになったきっかけは、阿津川辰海さん・斜線堂有紀さんとの鼎談でも話しているので繰り返さない。ミステリーにも初心者向けの入門書があるといいな、とは昔から思っていた。
なんべんも書いているとおり、念頭に置いていたのは藤崎誠(瀬戸川猛資)『世界名探偵図鑑』(立風書房ジャガーバックス)で、これは図版も多用した賑やかな本だった。「51人せいぞろい」と謳われているように質量ともに名探偵図鑑と呼ぶにふさわしい本で、カーター・ブラウンのアル・ウィーラー警部まで載っていたのである。いったん手放してしまい、後にヤフオクで買い戻した。この本が絶版のままというのはもったいないので一回出版社に復刊の話を持ちかけたこともあるが、通らなかった。図版が盛りだくさんなので、今だと権利関係も絡んでくると思う。
『世界名探偵図鑑』のいいところは、読物として楽しいことだ。世の中にはいろいろな入門書があるが、ここがいちばんの問題点である。だいたいの入門書はおもしろくないのだ。お勉強の匂いがするからである。読んでいると、ここはお勉強しなきゃならないところだな、がまんして読むところだな、とわかってしまう。本当にお勉強したい読者ならともかく、ちょっと入門書でも読んでみるか、と手に取った人にそこでやめてしまわれても作り手は文句を言えないだろう。
『名探偵を学ぶミステリ』がアンソロジーと融合したブックガイドになっているのはそのためだ。中身はあくまで初心者向けである。ミステリーを読みなれた方の中には知っていることしか書いてない、とおっしゃる向きもあるかもしれない。そういう方でもたぶん気づいていないだろう視点や、知識は盛り込んであるのだが、それはどうでもいい。初心者向けだから初歩的なことが書いてある、でかまわないわけである。こういう方向からミステリーの世界に親しむと楽しいですよ、ということをこの本には詰め込んだ。懇意にしている川浪いずみさんに四コママンガを書いてもらうなど、読物として充実した本にすることにも気を遣った。だから途中から読んでもいいし、途中だけ読んでもいい。そういう、気の張らない本なのだ。
もう一つ念頭にあったのは、アメリカ探偵作家クラブが出したMurder Inkというファンブックである。さまざまな作家が寄稿してミステリの楽しみを綴っている本で、結構大きな版型なのだが、邦訳されたときには普通の四六版になった。残念ながら抄訳である。分量が多いということもあるが、コラムや図版などがいたるところに挿入された形式になっていて、そのままではたぶん出せなかったのではないかと思われる。
Murder Inkにもっとも近いのが、別冊宝島で出た『ミステリーの友』だろう。編者は作家デビューする前の山口雅也である。藤田宜永と小池真理子が見開きページの上下で同テーマのエッセイを書いていたり、船戸与一がジャーナリスト時代に遭遇した危険な体験を綴っていたり、とバラエティに富んだ内容は、山口雅也の遊び心が充溢して実に楽しい。
こういう本がいっぱい世に溢れていたら『名探偵と学ぶミステリ』は企画自体が生まれなかっただろう。新しいミステリー・ファンをこの世界に呼び込むためにまだまだアイデアは持っているので、ぜひまた別の形で実現できたら、と思う。