杉江松恋
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杉江松恋不善閑居 ミエル川口古本市と玉袋筋太郎さんのこと
某月某日 午前中に一本インタビュー取材があった。出版社にお邪魔して話を伺う。終わって帰ろうとしたら、その会社の編集者が多数出てきて、名刺交換時間になった。インタビューイを待たせてインタビューアが名刺交換しているというのもなかなか無い図式だと思う。落ち着かなかった。 終わって木馬亭へ。6月の木馬亭定席は代演が多く、この日はトリの天光軒満月さんがお休...
杉江松恋不善閑居 密談ばかりの一日
某月某日 いろいろあって動き回っていた日。午前中は松井ゆかりさんとエンタメ丼の収録。なんとか木馬亭三日目に間に合ったが、写真を撮り忘れた。天中軒雲月さんの主任は「男一匹天野屋利兵衛」だった。そのあと某社編集部のSさんと浅草某所で密談。いろいろ企画を売り込んだ。終わってから移動して都内某所にてさらに密談。深更まで話す。某ばかりで具体的なことを何も書けない...
杉江松恋不善閑居 玉川祐子101歳かさま応援大使就任記念公演とつちうら古書倶楽部、自分はなぜ本を書くのか
某月某日 本日も浪曲木馬亭月例公演が開催されているのだが、失礼して茨城県笠間市に向かう。曲師・玉川祐子さんが御年101にしてかさま応援大使に就任された。その記念公演が行われるのだ。『100歳で現役! 女性曲師の波瀾万丈人生』共著者としては、行かないわけにはいかないではないか。しかも会場では本も販売していただけるという。 午後1時半に会場のある友部...
杉江松恋不善閑居 ミステリーの剽窃騒動で思うこと
某月某日 このところ懸案事項として引きずっていることがあった。実際にお会いして打ち合わせを、とも言っていただいていたのだが、その直前で実は条件が折り合わないということが判明し、流すことになった。お互い無駄足を踏まなくてよかった。流れたのは残念だが、どうぞがんばってください。 昼くらいまで原稿を書いて、急いで浅草木馬亭へ。一本送稿したので本日の勤務...
杉江松恋不善閑居 結論ありきでものを言う人たち
某月某日 朝から通院の予定があり、仕事読書のゲラを持って出かける。 15年前に糖尿病と診断されて、ずっと投薬で血糖値管理をしている。ここのところ数値がいいということで薬の量を減らす提案をされた。HbA1cが5.9である。とりあえず、減らしてみてこの数値が上がるかどうかを見てみようという話になった。 急いで帰宅して準備する。予定がいっぱいに詰...
杉江松恋不善閑居 橋本席亭さようなら。横浜浪曲まつりから桜木町・天保堂苅部書店経由で奈々福・奈みほ親子会
某月某日 あまり仕事はできずに午前中は雑用に追われ、正午近く家を出る。終わった原稿はないが、この日新しい仕事の依頼メールが来て受けたので、勤務評定としては1.0だ。 演芸家連合は毎年国立演芸場で5月に公演を行っていた。その国立演芸場が建て直しのために一時閉場してしまったので、2024年は同じ興行を横浜・桜木町のにぎわい座でやるのである。本日は日本...
杉江松恋不善閑居 南浦和「ゆとぴやぶっくす」と古本まつりでのマナー違反
某月某日 午前中に「これってSF?」の動画を収録、処理が終了したのを確認して外出する。 午後にさいたま市で取材の予定があるのだが、ちょうど所沢駅前で彩の国古本まつりが開催されて初日なので、覗いてから行こうという算段である。いつもはもう少し遅く行くのだが、初日の昼過ぎなので人が多い。こういう古本まつりは初日の開始直後に行かなくてはならない。遅く行っ...
杉江松恋不善閑居 おもしろいことだけやっていきたいが売れるものを作る必要もある
某月某日 午前中いっぱいかかって、このところずっと取り組んでいた某仕事を終わらせる。ちょっと大物だったのでほっとした気持ちになった。さっそく送稿して出かける準備をする。大物だけに金額が大きく、6月末までに稼がなければいけない額への進捗率は85.73%に到達した。ほぼ見えてきた感じになる。この進捗率を記録していても別に収入が増えるわけではなくて、ああ、ま...
杉江松恋不善閑居 9/28(土)・29(日)はぜひ浅草木馬亭で松浦四郎若を
某月某日 3日ぶりに外出せず、ずっと在宅で仕事読書と延び延びになってしまっている某仕事に没頭していた。新しい仕事依頼のメールをいただき、承諾したので勤務評定は1.0である。 一つ宣伝をさせてもらいたい。 私は浅草木馬亭に通っている常連と、浪曲応援団というような集まりをしている。その中で出てきた試みを実行に移そうとしていて、アートスペース兜座...
杉江松恋不善閑居 天中軒雲月ふるさと公演と上前津・海星堂書店
某月某日 郡上八幡での二日目。午後から天中軒雲月ふるさと公演なので、それまでうろうろと町内を歩き回る。いちばん行きたかったのは、雲月さんの生家があったあたりで、新町通りという、町の南部を東西に走っている道からちょっと北西に入った付近である。雲月さんによればお住まいになっていたころは、原っぱが広がっていたというから八幡町の中でも比較的阿新しい住宅地なのだ...